失業43日目:一日遅れの失業認定

失業認定を受けるため、ハローワークへ向かう。最大の懸案事項は、内定の結果、失業給付がどうなるのかだ。着任までは収入はないのだから、給付が止められるのは困る。かと言って、内定した事実を隠して失業給付を受け続けるのは、間違いなく不正受給である。

何はともあれ、失業認定申告書を作成する。求職活動の実績として、面接を受けたこと、その結果として内定が出たことを記入する。そして、ハローワークからの仕事の斡旋については“今後とも応じられる”という意思表示をした。まだ内定だから取り消されることもある、という想定である。この業界の内定は、あまり信用できるものではないらしい。“教授の鶴の一声で内定取消し”という噂もある。そうは言っても、今から新たな公募に出すのか、と言われると困ってしまう。内定が出ているのに、指導教官に「もう一通推薦状を書いてくれ」とも頼みにくい。

失業認定の応対に出たハローワークの職員に、状況を説明する。内定は出たが、着任までは数ヶ月以上もあること。今後、就任承諾書などの書類を大学に提出したりすると思うが、それはどのような扱いになるのか。着任までの間、どうしたらいいのか、と率直に尋ねてみる。ハローワークの職員も困ってしまって、上司に相談に行っている。大学教員に内定しました、などという人がハローワークに来るはずもなく、対応に苦慮する職員に同情する。5分ほど待たされた後、次のような回答をもらった。

着任までの間、失業状態であることに変わりはない。短期の仕事を含めて就労を禁ずるという趣旨の契約を大学との間で交わすようなことがなく、引き続き、ハローワークで短期の仕事などを探してもらえるなら、失業給付は受給できる。

大学と誓約書を提出したり、労働に関する契約を取り交わすことについては、何ら問題はない。ハローワークとしては、求職活動を行ったかどうか、就労したかどうかの2点だけを申告して欲しい。

相談したら心配は吹き飛んだ。もちろん、“着任までの間、他の仕事はしません”などという契約を交わしたりしない。従って、着任まで、生活の保障は続くようだ。

今回の認定期間中に得た収入の申告もしないといけない。「面接のための旅費を大学から支給されたが、申告する必要があるか」と聞いたところ、「ない」とのこと。そんなやりとりがあって、失業認定は終わった。

失業認定の後、早速短期の仕事を探してみた。短期となると“就業地がどこでもよい”という訳にはいかない。どうせ赴任旅費は出ないのだから、引っ越したりすると足が出てしまうので、実家の近辺でないと困る。だが、ここは地方の寂れ行く中堅都市、私が希望するような仕事は見つからない。やはり厳しいようだ。

失業42日目:失業認定日

ここ数日で、内定通知の書類と、もう一つの大学から、お祈りの手紙を受け取った。

今日は失業給付の認定日。だが、数日前に祖母が亡くなり、今日は告別式がある。だからハローワークには行けない。このような場合は、事前にハローワークへ連絡して新しい認定日の指定をしてもらい、その日に葬儀の会葬者への礼状のはがきを持参した上で手続きを行えばいいらしい。葬儀の日付が入っていないのだが、かまわないとのこと。

今日、祖母は火葬され、骨になってしまった。失業して実家にいたからこそ、祖母の死を看取ることもできた。祖母の息があるうちに、大学教員に内定したと伝えることもできた。いい冥土の土産になっただろう。祖母よ、安らかに眠れ。

合掌。

失業38日目:解禁

内定から一夜明けて、お世話になった先生方から、おめでとうのメールの返事を受け取る。

失業して以来絶っていた酒を解禁した。夜には、小学校以来の友人たちに会い「実は失業していて、こっちに戻っている」と打ち明ける。そして「大学の先生になるんだ」と内定が出ていることも言い、乾杯する。久しぶりの酒はうまい。「蓮舫に仕分けられた」などと話を振って反応が鈍いが、着任先の大学の所在地は実家の隣県であるためか、「連休になったら遊びに行くからな」「どこに観光に行こうか」という話に花が咲く。私の知らない、最近できた地元のおいしいお店なども教えてもらえた。少し気が早いが、懐かしい面々に大学教員就任を祝ってもらうのは、やはりうれしい。

内定が出ていると、失業していても恥ずかしくはない。いや、失業しているのが恥ずかしいという価値観がおかしいのだが、やはり気が楽だ。

失業37日目:内定

夕方、携帯電話が鳴る。先日と同じ番号だ。意を決して電話に出ると、内定の通知だった。正式な内定通知の文書は後日送付するとのこと。お礼を申し上げて、電話を切る。あまりに遅いので、最初の候補者に着任を断られたのかと思ったが、単に教授会が今日まで開催されなかっただけのようだ。

任期はあるが、一度更新されればテニュアのポジションである。定年退職する先生の欠員を埋めるための人事で、更新される可能性も高い。

内定が出たことを両親に伝える。とりあえず、一安心だ。当初の見通しの空手形は、本物になった。推薦状を貰ったり、今度に備えてサポートを依頼していた先生方にもメールで内定を伝える。

今日から着任までは、まだ数ヶ月以上の時間があるが、それまでの間の失業給付はどうなるのだろうか。一抹の不安が残る。ハローワークからもらった資料を読んでもよく分からない。それでも、心配事の大半は片付いたのだから、どうなろうと大した問題ではない。

失業32日目:不安

面接から一週間が経過した。まだ連絡はなく、段々不安になってくる。別の大学に出した、書類選考の結果もまだ届いていない。

今後の公募スケジュールを見て、どこに出そうか検討する。片っ端から出すという方針の方もいるようだが、私はそうする気にはなれない。どう考えても時間とお金を浪費するだけで、うまくいかないだろう。むしろ、先方の大学が何を望んでいるかを慎重に見極めて、自分とマッチするかどうかを考えた方が得策だ。

そういう意味では、先週面接に行った大学は、公募要項を読んだときも先方のニーズとマッチしていると思ったし、実際に大学に行ったときも、キャンパスの雰囲気などが私に合っていると思った。任期についてもそうだ。任期は設定されているが、更新されたらテニュアというのは決して悪くない。もう一つの書類選考中の大学は任期なしだが、これはそもそもあやしい。明文化された任期がないだけで、着任後、教授から「5年くらいで他のところへ出て行くように」と言われた人を何人か知っている。どちらを選ぶかと言えば、任期あり更新後テニュアの方だ。はっきり条件を明記してくれる方が信用できる。

向こう一ヶ月の公募を見ると、あまり私とマッチしていそうなものがない。唯一マッチしていると思ったものが東北地方のとある私大だが、要求している学位は修士だし、偏差値を調べると文系なのに40を下回っている。どう考えてもヤバそうな案件にしか見えない。つてを辿ってこの私大の関係者に様子を聞いてみるが、不安を打ち消すような情報は得られなかった。

こんなに私にマッチする案件は、今回のものが最後のチャンスのように思えてならない。内定ならば、おそらく電話で通知が来るのだろう。今日も電話は鳴らなかった。

失業25日目:面接試験

今日は面接試験の日だ。スーツを着込んで大学へ赴く。模擬授業と面接を合わせて2時間の長丁場。面接の途中からお腹が痛くなって、終了後、しばらく駅のベンチに横になっていた。何となく失敗したかな、という感じもする。

失業21日目:失業給付説明会

今日は、失業給付説明会がある。失業給付説明会に出席しなければ失業給付は受給できない。指定された会場に行くと、老若男女、幅広い人たちが集まっている。私はちょっと浮いた感じがする。

失業給付説明会では、一週間前に行った申請に基づいて、雇用保険受給資格者証が交付される。失業給付の基本手当日額と給付日数が書かれているので確認しよう。基本手当とは、求職活動に専念したと認定された日に支給される手当で、退職時の給与の50〜80%の水準で決定される。失業給付の打ち切り条件は、以下のいずれかの条件を満たしたときである。

  • 就職したときなど、求職者としての要件を満たさなくなったとき
  • 雇用保険受給資格者証に記載された給付日数分を支給したとき
  • 離職の翌日から一年を経過したとき

1つ目の条件が想定していることは、内定が出た日ではなく、実際に働き始めた日である。基本手当の支給要件の一つは、“求職活動をしていること”である。だが、内定が出たら“それ以上求職活動をしないのではない”かという疑問が生じる。ネットの情報では、“内定が出たら打ち切り”説を声高に唱えている人がいるが、それは誤りである。内定は取り消されることもあるし、複数の内定をもらって、一番条件の良いところを選ぼうと言う人もいるだろう。このようなことから、制度上は、実際に働き始めるまでは求職活動を継続することを想定している。

2番目と3番目の条件が規定する受給期間について補足する。例えば、給付日数が180日であれば、離職の翌日まで遡って給付されるということではなく、今日(失業給付説明会の日)から180日“分”支給される。今日から“連続して180日間”ではない。失業給付受給中に就労した場合、その日は基本手当が支給されず、翌日以降に繰り越される。今日から、(短期的なアルバイトなど)就労した日を除いて数えた180日である(2番目の条件)。また、この給付日数が余っていても、離職した日から一年間が経過すると給付は打ち切られる(3番目の条件)。ただし、出産や病気などで求職活動ができない場合は、この期限を延長する制度がある。

失業給付を受給中は4週間に一回、指定された日時にハローワークに出頭し、その日までの間に失業していたことを確認する。この日を認定日と言う。認定日には、失業認定申告書を作成して持参し、その期間中の求職活動の実績、就労した日などを申告する。今日の説明会では、失業認定申告書の作成方法と、虚偽の申告に対しては厳しいペナルティがあることが説明された。悪質な場合、詐欺罪で告訴されるとのこと。せっかく念願のアカデミックポジションに内定をもらえたのに、失業給付の不正受給で内定取り消し、などということがないように、正直に申告した方がいいだろう。

この日は説明を聞いて終了。失業給付説明会は、求職活動一回とカウントされるので、初回認定日まで最低限のノルマはこなしたことになる。

今は、来るべき面接試験に集中すべきだ。

派遣社員理学博士の失業日記

閑話休題。同じ境遇にある人たちの紹介です。

派遣社員理学博士の失業日記
http://blogs.yahoo.co.jp/jutchy89590

理学博士の学位を取得後、派遣社員として生きてこられたjutchy89590氏のブログです。私は派遣社員の経験はありませんので、想像を絶する体験をされているようです。税金で運営されている機関はまがりなりにも離職票をごまかしたりはしませんが、派遣会社は平気でごまかすんですね。人を人とも思っていない輩が経営しているのでしょう。

2008年の更新が最後なので、今はどのように過ごされているのでしょうか。色々試行錯誤の記録が綴られていますが、氏が今もお元気に活躍しておられることを祈念いたします。

失業14日目:求職手続き

この日はやることが多い。午後からは、離職票を持って、ハローワークへ向かう。失業前に質問に行ったハローワークとは違う所だが、失業者がわんさかいて、さほど雰囲気は変わらない。

私の失敗は、離職票を早期に貰い損ねたこと。ただし、離職票は通常は郵送されてくるので、実家に帰るなど住所を変更する場合は、職場には移転先の住所に送るように伝えておくこと。郵便の転送は申し込んでから、実際に郵便物の転送が開始されるまで一週間程度の時間がかかる。離職票がすぐに交付されたとしても、郵便物が転送されてくるまで時間を浪費してしまうこともある。できるだけ早く受け取って、早く手続きを済ませれば、もらえる失業給付の額が増える。失業給付の受給期間は、申請の日から何日間ではなく、退職した翌日から数えて何日間という決め方だ。申請を遅らせても、何も良いことはない。

今日、ハローワークでやることは二つ。一つは、失業給付の申し込み。もう一つは、求職申込書の提出で、今後ハローワークで求職活用を行うために、そして失業給付を受給するために必要なものだ。

求職申込書には、希望する就業形態、業種、就業地、収入、勤務時間、休日、そして自分の学歴、職歴、資格などを記入する。私は「教育・研究職」「就業地不問」、収入はよくわからなかったので、「今より多い方がいいな」と思い「600万円を希望」と書いた。ハローワークに視察に来て、55才で月50万円もらえる仕事を検索して「ありませんね、40万円にしてもない」と言った民主党の菅直人幹事長(当時)より無謀だろうか。私の求職申込書を受け取ったハローワークの職員のリアクションは特になく、まあがんばって、という感じなのだろうか。

失業給付の受給手続きは、離職票、雇用保険被保険者証、身分証、印鑑、写真2枚(縦3cm×横2.5cm程度)、本人名義の普通預金通帳(ネット銀行は不可)と、求職申込書が必要だ。これを一式提出した後、今日から7日間は待機期間であること、一週間後、失業給付の説明会があるから、必ず出席するように、という説明を受ける。

待機期間とは、失業給付申請者が失業状態であることを、ハローワークが確認するための期間となる。この間は一切の労働をしてはいけない。待機期間中は、失業給付も支給されない。一週間、大人しく待つしかない。

ハローワークでの手続きは、今日はこれで終了。せっかく来たので、設置されている端末から求人情報を検索してみるが、私が希望するような求人はないようだ。早々に退散する。

失業14日目:転入と社会保険の手続き

実家へ戻ってきたので、住民票を実家の住所へ移す。このとき、国民健康保険と国民年金の加入手続きも一緒に行う。転入届を提出した時に、役所の係員に「国民健康保険と国民年金に加入したい」と伝えればよい。

住所を変えない人は、離職票が届いたら、まずは役所へ行って、国民健康保険と国民年金の手続きをしてしまおう。というのも、この手続きには、今まで加入していた社会保険の資格喪失を証明する書類が必要になる。離職票は、この証明として使うことができるが、ハローワークに行くと離職票が回収されてしまう。どうしても先にハローワークへ行きたい人は、離職票のコピーをとっておくといいだろう。

国民年金は強制加入なので選択肢はないが、国民健康保険については、これまで加入していた健康保険を任意継続するというオプションがある。この保険料は、雇用主と折半していたので、任意継続すると今までの倍払わないといけない。国民健康保険に加入するか、これまでの健康保険を任意継続するかを、支払う金額で天秤にかける。国民健康保険の保険料は、前年の収入によって決まるので、源泉徴収票を持って行くと事がスムーズに進むだろう。大雑把に考えるなら、一般的には、ポスドクの収入なら国民健康保険に加入する方が得だろう。今後、ハローワークに行き、失業手当給付者証が交付されると、それを提示して保険料の減免申請を行うこともできるので、任意継続するという選択はあまりないと思われる。なお、任意継続は退職から3週間以内に手続きをする必要があるので、早めに手続きを行いたい。

私の場合、国民年金が一ヶ月15,100円、国民健康保険が一ヶ月9,000〜10,000円(減免申請後の金額)だった。離職票の受け取りが遅れたため、私は退職から2週間、無保険ではあったが、幸いにして、私の身体は頑丈なので医者にかかる必要はなかった。

失業13日目:引っ越し

数日前から、賃貸の自室へ戻っている。職場へ寄って離職票を受け取ったり、引っ越しのための準備を進めてきた。今日は引っ越し業者へ荷物を託し、部屋の鍵を管理会社へ引き渡す日だ。

不要な荷物や家具は捨てたり、リサイクルショップに売却したりして、可能な限り荷物を減らすのは引っ越しのセオリーだ。どうしても必要な残りの荷物は引っ越し業者へ頼むしかない。ポスドクとしてあちこちの街を転々としてきただけあって、今回の引っ越しも心得たもの、クロネコヤマトの単身パック一つに収め、引っ越し費用をなるべく安く抑えた。

ポスドクは赴任にあたって引っ越しをしても、常勤のポストに就く人たちとは違い、赴任旅費は支給されない。日本のポスドク制度は、大学院で博士号を取得し、そのまま研究室に何年か居座るという形しか想定していないのだろう。百歩譲って、赴任旅費は出ないのは仕方ないとしても、任期途中で雇用側都合により勤務地を変更する場合くらいは、引っ越しの費用を負担してほしい気もするが、私の経験ではこれも出なかった。私はこの納得いかない措置の結果、片道2時間の通勤を余儀なくされたこともある。

この間にも、公募書類を一通郵送する。

実家へ戻ると、先日、電話連絡のあった、二次選考に関する書類が届いていた。面接の日程、模擬授業のテーマなどを確認する。

失業8日目:吉報

夜8時頃に携帯電話が鳴る。画面を見ると知らない番号だが、市街局番から先日応募した大学と直感する。

電話の相手は、やはり先日応募した大学の学部長の先生だった。一次選考を通過したが、面接に来てくれるか、とのお尋ね。「喜んで伺います」と答えた。正式な書類は、後日送るとのこと。

両親にも通知があったことを伝える。空手形だった見通しに裏書きが増え、状況に明るさが見え始めた。

失業3日目:実家へ戻る

一週間生活できるくらいの荷物をまとめて、一旦実家へ戻る。戻った以上は、両親に状況を説明しないといけない。失業に至った経緯と、今後の方針として、今はアカデミックなポジションの求職をしていること、求職にあたって、これまでの指導教官たちの協力を得られていること、早ければ今月中には次の仕事が決まるかもしれない、という見通しを説明する。もちろん、求職活動がうまく行く保証などどこにもない。とりあえず、失業給付の受給期間の半年間はそうさせてくれ、ということで納得してもらう。

起業するかもしれない、ということについては伝えなかった。

当然、両親は心配しているだろう。だが、現状はこれ以上どうすることもできない。

失業1日目:今後の生活設計

ついに失業した。今日から無職である。履歴書的には、無給研究員としてキャリアをつなげることはできるが、何はともあれ、まずは生きていかないといけないので、生活設計は重要だ。とにかく、可能な出費は切り詰める所から始める。言う間でもなく、生活設計は、失業してから考えるのではなく、もっと前から始めないといけない。ここに書くことは、これまでに決定した今後の方針集という事でご理解いただきたい。

まずはランニングコスト。今住んでいる所は賃貸なので、ここは引き払って実家に帰る。これで、月々の家賃、水道光熱費の基本料金くらいは節約できる。実家にもADSL回線があるので、それにただ乗りすればネット代もゼロ。実家で食べれば、多少は食い扶持を払うとしても、食費も節約できるだろう。

意外と事務用品は難儀する。文房具は買ってくるとしても、我が家にはプリンターがないし、コピー機もない。差し当たっての策としては、コンビニの印刷サービスを使うと、パソコンで作った文書を1枚20円くらいで印刷はできる。改めて書くほどでもないが、コンビニでコピーもできる。だが、コンビニのコピー機はシートフィーダがないので、大量にコピーするには不向きだ。どうしても大量にコピーしたい時は、原始的に1枚1枚コピーするということで腹を括るか、大都市圏ならば、FedEx Kinko'sなどのサービスを使うという手もあるだろう。多少の不便を甘受するか、金を投じて機材を揃えるかの判断は、それぞれの事情にもよるだろう。私は滅多に印刷しないので、コンビニのサービスで足りる。

失業して困ったのは、公募書類の中の“主要な論文の別刷り”のコピーを作るときである。結構な枚数のコピーを取らないといけないので、公募書類を一式作るのにも案外金がかかる。あまり大きな声では言えないが、退職する前に、職場のコピー機で公募で使いそうな論文のコピーをたくさん作っておくのが良策かもしれない。

今まで給料から天引きされていた、年金と健康保険は、国民年金や国民健康保険税として、目に見える形で支払わないといけない。収入がない身には、これも結構な出費である。今後、失業給付を受けている期間は、国民健康保険税の減免申請ができるので、忘れずに申請したい。

3月には所得税の申告もある。これまでのように勤務先が年末調整をしてくれるわけではないので、確定申告をしないといけない。おそらく源泉徴収された税金が還付されることになるだろう。それに備えて、色々な領収書を保管しておく必要がある。

失業すると、不便なことが多いと気付かされる。自分の生活は自分で守っていくしかないのだ。

無職博士のサバイバル日記

閑話休題。同じ境遇にある人たちの紹介です。

無職博士のサバイバル日記
http://blog.livedoor.jp/mjsamurai/

MJ氏による、無職博士をテーマにしたブログである。MJ氏は、博士号取得後に海外でポスドクとして活躍、任期が切れたため帰国したものの、日本ではポストがなく無職になる。国内の大学や研究所でポスドクとして雇われていた博士の多くは、失業保険に加入しているであろう。無職になっても 3~6ヶ月は失業給付を受け、食いつなぐことができる。だが、果敢に海外へ出て行った博士たちは、日本の失業保険制度には加入していない。故に、無職になった途端に無収入となる。そのご苦労たるや、私の想像が及ぶところではない。

MJ氏をはじめ、海外へ活躍する博士の皆様に、幸あらんことを!

失業1日前:職場の片付けと離職票

職場に行き、私物を片付け、同僚や上司に挨拶をして職場を去る。無論、退職金などない。

退職にあたって重要な書類の一つは、離職票である。離職票は、文字通り退職したことを証明する書類であり、これまでの勤務状況として、月当たりの労働日数・時間、給与の額、退職した理由などが書かれている。失業給付の受給額や受給期間は、これに基づいて決定される。また、厚生年金や共済年金に加入していた人は、国民年金や国民健康保険に切り替える必要があり、その際にも退職したことを証明する書類が必要となる。通常、離職票は、退職後数日で郵送されてくる。

離職票の交付にあたって申請が必要なことに気付き、慌てて申請を出す。今までは次のポジションが決定している場合でも、自動的に離職票が交付されていたのに何故?と訝っていると、過去の事務担当者は好意?で代行申請してくれたらしい。そういや、今の事務担当者は言わないと、いや何度か言わないと何もしてくれない人だったな。私は、この手続きを忘れていたため、離職票の交付が大幅に遅れ、それに関連する手続きも遅れることになる。このようなことがないように、離職票に関する申請は忘れずに行いたい。

公募書類を一通郵送する。

失業9日前:ハローワーク初訪問

まだ失業者ではないが、失業したらどうなるのかが知りたくて、最寄りのハローワークへ行く。建物の中は、大勢の求職者で溢れかえっていた。改めて、雇用情勢がよくないということを実感する。とりあえず受付に行き、「月末で失業予定であるので、聞きたいことがあって来た」と伝える。番号が書かれた紙をもらって、しばらく待つ。

私の番号が呼ばれた。対応にあたってくれたのは30才くらいだろうか。若い職員だ。まず、聞きたいことは、失業給付について。このために、毎月の給料から失業保険を払っていたのだ。勤続年数や年齢によって異なるが、私の場合、半年間は給付されるらしい。ただし、給付中は求職活動に専念する義務が生じ、それ以外のアルバイトや手伝いなどをして求職活動に専念できないと認定された場合、その日は給付が停止されるとのこと。

次の疑問。小説家は出版社との契約を失ったとしても、本人が断筆宣言をしない限り小説家でなくならないように、科学者である私も収入のあてがなくなったとしても、科学者であり続ける。失業したとしても、研究は続け、論文を書き、学会で発表するとしたら、失業していない時とそう変わらない日々を送ることになる。言ってみれば、これらは求職活動の一環のつもりだが、これをもって求職活動に専念してない、とみなされることになれば、今後、アカデミックなポジションを狙うことは不可能になる。

「調べ物をしたり、論文を書いたりするのは、家で勉強しているってことですよね?」

ああ、私の仕事は世間一般では労働として認められていないのだな、と改めて認識する。ただし、学会発表などで、出張を伴う場合は4時間以上拘束されるので、その日は求職活動に専念できなかった、とみなされる可能性があるとのこと。

3つ目の質問。失業給付を受けるためには、4週間に2回は求職活動(応募や面接など)を行わないといけないらしいが、アカデミックなポジションの求人がハローワークにあるとは思えない。ハローワークを通したものでないと、求職活動として認められないのか。この答えは否。JRECINなどの求人に対して応募したものでかまわない。ただし、ハローワーク側が、求職活動の実態を調査することがあり、応募を出した大学等の連絡先を申告する必要がある。これに基づいてハローワークから問い合わせが行って、選考が不利になるかどうかまでは分からない。

最後の質問。自ら起業する場合、失業給付はどうなるのか。「起業の準備を始めた時点で停止されます。」「起業の準備と言っても、色々な段階がありますよね。漠然と構想を練るだけでもだめですか?」「基本的には、ご本人からの申告ですが、例えば役所に開業届を提出するとか、外部へ意思表示したときは、準備に着手したとみなされます。」とのこと。なるほど。あれこれ考えるだけなら問題ないらしい。

まとめると、失業しても、半年間はどうにか食いつなぎながら、研究を続けることができ、アカデミックなポジションを含めて狙うことは可能、ということは分かった。対応してくれたハローワークの職員に礼を言って立ち去る。

失業30日前:無職になるということ

どうやら、私は今月末で無職になるらしい。無職は世間的に悪とされている。故に、履歴書に隙間があってはならない。いわゆる“無給研究員”などで、履歴書の隙間を埋めるということも、この業界ではよくあることだ。他にも履歴書の隙間を繕う方法はある。例えば、自ら起業するという方法だ。

無職になるにあたって、私に大きな影響を与えたものの一つに、うえしん氏のブログ“考えるための書評集”がある。このブログから、いくつかのエントリを紹介しよう。

思えばギャップ・イヤーばかりの人生だったなあ。
http://ueshin.blog60.fc2.com/blog-entry-872.html
なぜ日本人は失業をそんなに恐れるのか?
http://ueshin.blog60.fc2.com/blog-entry-1471.html
サバティカル人生をサバイヴァルする
http://ueshin.blog60.fc2.com/blog-entry-1484.html

うえしん氏が指摘するように、履歴書に隙間があってはならない、という考え方は雇用主側の論理であって、我々が従う必要はない。国際競争力という錦の御旗の下、雇用主の権力は増長著しい。労働者層は、それに抗う権力を持たない。労働者層の本来あるべき健全な左翼活動が、機動隊と衝突するだけの暴力集団とともに日本から消えてなくなった。このようになった日本では、雇用主が殿様で、従業員は奴隷である。

なるほど、失業というと気分が滅入ってくるが、サバティカルというと何だか“退職の日”が待ち遠しくなってくる。ポスドクは何年やってもサバティカルはない。何はどうあれ、せっかく得たサバティカル、自分のあらゆる可能性を試そう、と考え始める。

はじめに

私はポスドク一万人計画によって博士号を取得した中の一人である。基礎研究を充実させ、日本を科学技術立国とするための大いなる計画は、出口戦略の欠如という形で、多くの若者たちの人生を狂わせた。私も学位を取って以来、不安定なポスドクの地位で何とか食いつないできたものの、ついに任期が切れて失業した。

このブログは“日記”と銘打ってはいるが、リアルタイムで書かれているものではない。これを書いている現在、私は職探しで公募書類と格闘する身ではない。幸いにして、とある大学の教員として採用の内定をいただくことができ、着任までの日々を過ごしている。

この最悪の境遇から生還した者として、着任までの間、無為に過ごすのではなく、“博士が失業するとどうなるのか”をまとめ、今後同じ境遇になるであろう人たちに情報を提供しようと思う。売国政権である民主党のパフォーマンス“事業仕分け”に震え上がった、とある研究所の理事たちが、ポスドクの放逐を始めたと聞く。ポスドクの失業はこれから本格化すると言っていい。このブログに書いたことが、読者の皆様にとって、何かの役に立てば幸いである。